これまで内視鏡の技術指導を賜った先生方のご紹介

内視鏡内科 消化器内科(胃腸内科)内科

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西宮市南越木岩町6-7ラポール苦楽園2階

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これまで内視鏡の技術指導を賜った先生方のご紹介

院長の前田晃作は、これまで勤務した病院以外に国内外20以上の内視鏡先進施設で研修させていただきました。ここでは、ご指導いただいた著名な先生方を紹介させていただきます。

JA厚生連佐久総合病院胃腸科(佐久医療センター内視鏡内科

小山 恒男先生

http://www.sakuhp.or.jp/ja/center/2432/000069.html

上部消化管NBI拡大診断における日本のリーダーの一人であり、また早期がん内視鏡治療(ESD)の世界的なパイオニアである、小山恒男先生です。組織生検検査を行わずに、拡大観察を含む内視鏡診断だけで、治療方針を決定してしまう凄腕医師です。研修を行う中で、自分の探求心の低さを毎日痛感し、佐久病院で研修する全国から集まった若手医師たちにも大いに刺激を受けた研修でした。


神戸大学消化器内科

豊永高史先生 森田圭紀先生

http://www.med.kobe-u.ac.jp/gi/index.html

大阪厚生年金時代の上司である道田知樹先生のご紹介により、早期がん内視鏡治療における関西のパイオニアであり、今や世界をリードする豊永高史先生の治療手技をまさに間近で拝見することができました。胃体部全域にわたる大きな早期胃がんを、片側は豊永高史先生が考案されたフラッシュナイフで切除し、反対側を私の勉強のために、当時私が取り組んでいたITナイフで切除するという、離れ業をお示しいただいたことが今でも鮮明に思い出されます。大変な名人ですが、ご経歴を詳しくお聞きすると、研鑽時代に寝る暇もないほどのハードワークをこなされていたそうです。やはり人並外れた努力なしに名人の域に到達することはできないようです。

森田圭紀先生は卒年が近いこともあり、研究会や学会などの折にいつも大変お世話になっております。内視鏡治療研究開発において抜きんでた力量をお持ちで、合併症の少ない治療器具を数々考案されておられます。私が研修させていただいた当時には、内視鏡治療中に2本の内視鏡を同時に挿入するための治療器具を考案し、臨床試験を行っている途上でした。外科的なアイディアを内科治療に融合し、発展させていく森田先生の姿勢に一臨床医であった自分は大いに刺激を受けた次第です。最近では、スワンブレードという合併症を起こす可能性が極めて低い治療器具を考案され、全国の多くの施設で好評を得ています。


東京大学消化器内科

藤城光弘先生

http://www.gastro.m.u-tokyo.ac.jp/

国立がんセンターでの研修時代に週に1度お邪魔しておりました。藤城光弘先生は、内視鏡関連の多方面での活躍が特徴です。内視鏡治療においてはスプラッシュニードルといった安全性の高い独自の治療器具を考案され、また抗血栓薬を服用中の患者さんに対する内視鏡検査の条件を決定する全国委員会の取りまとめをするなど、私の知る限りで最も多くの研究や実臨床の場面で活躍されている先生です。東大にお邪魔しているときに特に記憶しているのは、若手医師の研究指導に熱心であり、東大に集まる優秀な医師たちが多くの論文や研究発表を行うことにより、さらに優秀な医師が藤城先生のもとに集うという好循環を繰り返していることです。短い期間でしたが、藤城先生のみならず、東大の先生方との交流が内視鏡医としてとても 多くの刺激となりました。


東京医科大学消化器内科

糸井隆夫先生 祖父尼淳先生 土屋貴愛先生

http://hospinfo.tokyo-med.ac.jp/shinryo/syoukakinaika/

大阪厚生年金病院時代、指導者のいない胆膵領域の内視鏡診療で壁にぶち当たっていた頃、に出会った、糸井先生が編著されたテキストブック、「胆膵内視鏡の診断・治療の基本手技」に大変刺激を受けました。胆膵内視鏡は、当時有名施設内で高度な技術が伝承されており、我々のような一般病院の医師たちにはその技術をうかがい知る機会が極端に少ない医学領域でした。糸井隆夫先生を初めとする東京医科大学の先生方は、この慣例に対するアンチテーゼとして、経験のない若手医師たちにも理解できるように平易な言葉で、高度な内視鏡技術の解説を執筆されました。これに刺激を受けた私は、是非この目でその診療現場の実態を学ぼうと西新宿にある東京医科大学病院への見学研修を申し出る ことにしました。そこで目にした内視鏡治療手技はこれまでの経験をはるかに超える高みにあり、毎日が刺激的でした。若手医師たちがチームワーク良く、我々が普段目にすることのできない困難な治療手技に臨んでいくのを拝見し、このチームワークを大阪にももたらしたいと強く思い、大阪での若手指導と高度な内視鏡診療に臨むことを決心しました。東京医科大学の研修以後も、全国各地でのライブデモンストレーションで糸井先生の手技を拝見する機会が多く、いまだに多くの知識と技術を習得させていただいています。


北里大学東病院消化器内科

木田光広先生

http://www.khp.kitasato-u.ac.jp/SKA/syokakinaika/

超音波内視鏡を大阪厚生年金病院の若手医師たちに経験させたいと苦心していた私は、その技術を学ぶ機会に飢えていました。ドイツエッペンドルフ病院で名医ニブ・ソヘンドラより薫陶を受けた、木田光広先生は超音波内視鏡を含めた高度内視鏡手技において、日本のパイオニアです。神奈川県相模原にある北里大学東病院にて、超音波内視鏡の観察方法および吸引生検術について学ばせていただきました。その教授方法はまさに手取り足取りで、高名な先生の指導に緊張しっぱなしでしたが、木田先生の「難しく考えない」の一言で妙にリラックスできたことを記憶しています。懇親会で木田先生の留学時代のお話をお聞きし、自分もドイツで研修してみたいと願うようになりました。後日、実際に ドイツに出かけることになります。


愛知県立がんセンター中央病院消化器内科

山雄健次先生 原和生先生

https://www.pref.aichi.jp/cancer-center/hosp/02shinryo/kakuka/shonai.html

国立がんセンター中央病院の上司である、吉永繁高先生よりご紹介いただき、超音波内視鏡下吸引生検術において‶日本の父″と称される、山雄健次先生がご指導される愛知がんセンターで研修させていただくことができました。全国から集まった若手医師たちと暗室で、当時聞きかじりだった超音波内視鏡の画像を集中して見つめ、議論しあう毎日でした。原和生先生やスタッフの先生方から熱心に指導していただき、研修後には「少しうまくなったかもしれない」と思って大阪に戻ったことを記憶しております。当時の専修医には、今や胆膵内視鏡で日本をリードする存在になった、大阪医科大学の小倉健先生など錚々たる顔ぶれが揃っていました。どこに研修に行っても、高名な先生だけでなく、 そこに集う熱心な若手医師に大いに刺激をうける日々でした。名古屋を去る前、山雄健次先生に、「ヨーロッパの大物を紹介してください」と直訴させていただき、山雄先生に快諾していただきました。その後、ドイツデュッセルドルフのホルスト・ノイハウス先生の病院に出向くことになります。


近畿大学消化器内科

北野雅之先生

http://www.med.kindai.ac.jp/shoukaki/

現在、和歌山医科大学消化器内科教授に就任された、北野雅之先生の噂を当時の医療機器メーカー担当者からお聞きしました。当時の私は内視鏡技術全般について暗中模索の状態で、院内での自分の立ち位置を確保するために、多方面に勉強の機会を探しておりました。
「近大はとても刺激になると思います。」
担当者からの言葉を信じ、大阪堺の近大病院にお邪魔しました。そこで目にしたのは、当時の日本の内視鏡診療の水準を大きく上回る医療現場でした。超音波内視鏡をまるで通常の胃カメラのように操る技術、超音波内視鏡下穿刺吸引術をまるで大腸ポリープ切除のように行う技術、どれも全く想像していなかった診療技術でしたので、大きな刺激をうけることになりました。北野先生の、「これは、胃カメラ感覚です」、の一言が今でも思い出されます。その後、北野先生から、胆膵内視鏡における大阪の巨人、向井秀一先生をご紹介いただくことになります。


国立大阪医療センター消化器内科

中水流正一先生

http://www.onh.go.jp

私の勤務していた大阪厚生年金病院は、大阪大学消化器内科関連施設でした。その関連病院の中から、関連の深い大阪医療センターでの見学研修を紹介していただきました。大阪医療センターは国立病院のリーダー的存在であり、医療機器やスタッフの充実度では関西有数の施設です。当時の大阪医療センターは、年金病院と同様の内視鏡器具を使用しており、親しみやすさもあり、経験の乏しかった私には大変理解しやすい見学研修となりました。


大阪府立急性期総合医療センター消化器内科

西山範先生

http://www.gh.opho.jp

現在、にしやま消化器内科院長の西山範先生がリードしていた、大阪府立急性期総合医療センターで見学研修したのが、その後の私の内視鏡研修行脚のきっかけでした。当時、私の課題であった、内視鏡下逆行性胆膵管造影法を得意にしていた西山先生は、急性期の胆石治療を6分ほどで完了しました。当時の私が、1時間ほどかかっていた手技です。同じ大阪市内の急性期病院でしたが、症例数は3倍以上あり、実力差も相当なものでした。身近な存在で、大きく成長を遂げている西山先生を模範に、数多くの先進施設での研修に向かっていくきっかけとなりました。


大阪赤十字病院消化器内科

岡部純弘先生

http://www.osaka-med.jrc.or.jp

現在、加古川市立中央市民病院消化器内科部長を務められている、岡部純弘先生は「大阪の名手」のうちの一人と目される胆膵内視鏡における名医です。大阪日赤にお邪魔した時には、ちょうど進行膵癌による閉塞性黄疸を患っている患者さんに、胆道金属ステントを留置する症例に立ち会うことができました。慎重かつ大胆な留置方法で、その後自院で何度もその手法を模倣し、患者さんの治療に成功することができました。大変人望の厚い先生でいらっしゃって、その後も何度も学会研究会でご助言をいただいております。


北野病院消化器内科

八隅秀二郎先生

https://www.kitano-hp.or.jp

現在、大阪胆膵内視鏡研究会の筆頭幹事を務めておられる、八隅秀二郎先生の主宰される北野病院へは、ライブセミナーを含め、何度もお邪魔しております。八隅先生の全国レベルの広い人脈と、京都大学消化器内科を背景とする豊富な人材で、北野病院は消化器内視鏡において関西をリードする存在になっています。


淀川キリスト教病院

向井秀一先生

http://www.ych.or.jp

消化器内視鏡を志す前から、大阪には向井秀一先生という内視鏡の大家がいることは存じ上げておりました。たまたま、近畿大学の北野先生から、向井先生が代表幹事を務められていた大阪胆膵内視鏡研究会へお誘いいただいたのが、この内視鏡の巨人とお会いするきっかけとなりました。研究会では、日頃たまっていた疑問を発表の先生や、聴衆として並ぶ経験豊富な先生方にぶつけさせていただきましたが、この姿勢が目に留まったのか、研究会終了後に向井先生にお声をかけていただきました。大阪胆膵内視鏡研究会の幹事としての参加をお許しいただきました。緊張して十分な挨拶もできませんでしたが、その後も経験の少ない私をライブデモンストレーションや学会の司会に抜擢していただき 、貴重な経験を積ませていただきました。淀川キリスト病院を訪問させていただいた際には、ちょうど新病院が竣工されたばかりで、最新鋭の内視鏡設備にただただ感動しました。


手稲渓仁会病院消化器内科

真口宏介先生

https://www.keijinkai.com/teine/

胆膵内視鏡をする医師で、真口先生の名前を知らない医師はいません。学会などの研究の場のみならず、臨床現場での内視鏡の達人として有名な先生です。東京医科大学消化器内科の土屋貴愛先生よりご紹介いただき、北海道札幌市にある手稲渓仁会病院を訪れたのは、1月の寒い時期でした。インフルエンザが流行し、札幌で妻が罹患したのを覚えています。内視鏡の挿入から処置の仕方まで、真横に付かせていただき、つぶさに拝見しました。内視鏡手技を定式化し、若手医師にわかりやすいように表現し、そして内視鏡検査の間にご自分の言葉で内視鏡の状況を語り続ける。内視鏡をどのように動かすのか、そしてどのように病変を診断するのかを、常に声に出して表現する。真口先生の話す言葉を聞きながら、若手医師たちは、自分の内視鏡を次にどのように動かすか、対峙している病変を内視鏡を持ちながらどのように診断するかを自問自答していました。内視鏡にとっても、言葉の重要性を強く意識した研修でした。内視鏡とは、モニターに映った画像がすべて であると思い込んでいた自分にとって大変な衝撃でした。また、カンファレンスなどの検査後及び手術後の検討会も徹底しており、感心し深く勉強するとともに、自分の内視鏡への甘い姿勢を深く恥じた経験となりました。毎日言葉を失うほど、感心したり、打ちひしがれていたりしたので、手稲渓仁会病院の先生方とうまくコミュニケーションできなかったのが心残りです。


JA厚生連尾道総合病院消化器内科

花田敬士先生

http://onomichi-gh.jp

講演会で拝聴するたびに、歯切れよくテンポのよい語り口や内視鏡への情熱に影響を受けておりました。花田先生が現在の尾道総合病院に赴任した当初は内視鏡症例も少なかったそうです。花田先生が赴任後、膵癌を開業医の先生方と共同して診断していく、地域ぐるみの膵癌診断協力体制を構築され、尾道総合病院は全国有数の内視鏡症例数へと急成長されました。私は当時、大阪の中心部で勤務しておりましたが、なかなか内視鏡症例数が増加しないことから、花田先生を模範に地域医療機関との付き合い方を模索しておりました。縁あって尾道総合病院を見学研修させていただき、花田先生ご自身の専門である胆膵内視鏡だけでなく、胃カメラや大腸カメラでも花田先生ご自身が施行されるのを目 にして、やはり何事も汗をかく必要があると痛感しました。花田先生から早期膵癌発見のコツを教えていただき、大阪に帰ってから超音波内視鏡診断や定期フォローの仕方を修正いたしました。うれしかったのは、長期研修を希望するなら受け入れるとおっしゃっていただいたことです。


日本赤十字社和歌山医療センター消化器内科

山下幸孝先生

https://www.wakayama-med.jrc.or.jp

関西の研究会や学会でお見かけするたびに、日赤和歌山医療センターが誇る日本有数の内視鏡症例数をうらやましく思っておりましたが、スタッフも豊富であり、勢いある臨床活動を一度見学研修させていただきたいと思っていました。縁あって訪問させていただくと、消化管、胆膵、肝臓と研究熱心なスタッフに溢れており、独自の工夫で全国レベルの研究発表を行う医師が多数いました。研究段階の診療材料をいただいたり、内視鏡治療困難例を拝見したり、大変勉強になりました。


川崎医科大学付属川崎医療センター内科

河本博文先生

https://g.kawasaki-m.ac.jp

何度かご講演を拝聴し、内視鏡治療に対する情熱ときめ細やかな戦略に接し、是非とも実際の手技を拝見したいと思い、岡山市にある川崎医療センターの門を叩きました。河本先生が考案された処置具はどれも使いやすく、使用用途に適した形状と感触を備えています。中国地方を代表する腕の立つ先生と思っておりましたが、予想を上回る凄腕のエキスパートでした。河本先生は、内視鏡診療に集中する以前は経皮的な胆道処置をメインとされており、ガイドワイヤーの使い方、胆道解剖の読みなど、経験に培われた上級の手技を拝見することができました。とりわけ、河本先生が主に介助者として手技に参加し、後進の先生方の指導を間近で行っていたことを鮮明に記憶しております。たぶんそのよ うにしているのではないかと思って岡山まで参りましたが、私も後輩の指導をする際に同様に行っており、自分の方向性が河本先生のようなエキスパートと同一であることに、強く勇気づけられました。


岐阜市民病院消化器内科

向井強先生

https://gmhosp.jp

学会発表の折に、激しい合併症に対処される発表を行っていた向井強先生を拝見し、一度実際の処置を拝見したいと思っておりました。実際に拝見すると、どんな厳しい状況にも臆することなく、冷静に対処される様子に内視鏡医として感服しました。しかし、向井先生のような境地に達するのはかなりの経験値が必要だな、という感がしておりました。岐阜市民病院は、岐阜県を代表する、県内で最も救急搬送の多い施設です。このような厳しい環境でこそ、強い魂を持ったドクターが育つのだなと、思った次第です。


静岡県立総合病院消化器内科

菊山正隆先生

http://www.cick.jpp

「私、いつも昼飯食べれないんですよねー」、静岡の名人の言葉にびっくりでした。菊山先生と言えば、胆膵内視鏡のご意見番的な存在で、一度その手技を拝見したいと静岡まで参りました。菊山先生は、朝から晩まで内視鏡透視室にこもりきりで、昼食をとる暇はないそうです。監督者として、内視鏡室の外で指示を出すことの多い年代の先生ですが、完全な現役内視鏡医にしてエキスパートでした。若手の先生に手技を教えるときにもまさに手取り足取りで、こんな指導者に出会ったらさぞかし腕も上がるだろうと推察しました。東京、駒込病院消化器内科へお移りになり、腕を振るっておられますが、東京出身の私に、もし希望するなら一緒に内視鏡をしよう、と仰っていただいたのが感動でした 。


静岡県立がんセンター内視鏡科

小野裕之先生

https://www.scchr.jp/index.html

早期がんの内視鏡治療はこの10年で大きく進化しました。その牽引車となられたのが小野裕之先生です。国立がんセンター時代の私の上司、小田一郎先生よりその人柄については十分にお聞きしておりましたが、実際にお会いするとその寛大な人柄がよくわかりました。またパイオニアだけあって、対峙する症例は全国から集まった困難例ばかりで、研修させていただいた毎日が刺激的でした。現在でも病院に泊まり込んで治療を行うことが多いとお聞きしました。やはり一芸に秀でるにはそれなりの覚悟が必要なのだなと思い知らされました。


Evangelisches Krankenhaus Düsseldorf(ドイツ)

ホルスト・ノイハウス先生

https://www.evk-duesseldorf.de/

愛知県立がんセンター中央病院の山雄健次先生にご紹介いただき、ヨーロッパ消化器病学会の後、研修させていただきました。ノイハウス先生は、ヨーロッパ学会の会長を務められるほど大変高名な先生です。ノイハウス先生には、ご自身専用の内視鏡施設があり、その倉庫には試作品も含めた世界中の内視鏡が収められていました。どの内視鏡を使用するかを対応する患者さんに応じて決めているようでした。日本の内視鏡医との環境の違いを痛感しました。高名な先生の有名な施設でしたが、意外にもスタッフの人数は4人と少なく、少数精鋭な印象でした。夙川内視鏡内科まえだクリニックの内視鏡で使用する鎮静剤もこちらで詳しく研修することができました。


新宿大腸クリニック

後藤利夫先生

新宿内視鏡クリニック

谷口将太郎先生

http://www.daicho-clinic.com

https://www.shinjuku-naishikyo.com

「大腸内視鏡をいかに滑らせるか」、私の長年の課題でした。内視鏡は押さなければ奥へは入っていきませんが、押しすぎると腸を圧迫して患者さんに痛みを与えます。そのため、少し伸ばしては引き戻して腸をたたむ、それを繰り返しながら奥へと進むようにしておりました。後藤先生が考案された、水浸法による挿入法では、水によって内視鏡の抵抗は低くなり、また水によって内視鏡は浮力を与えられより滑りやすくなります。独自の注水方法は特許が取得されておりますが、だれでも安価に自ら作成できるように作成方法が公開されています。まずは後藤先生の著書を読んで、自院で試行錯誤の毎日でしたが、幸運にも後藤先生の手技を実際に拝見する機会を得ることができました。豊富な経験 はもちろん、理論的に内視鏡手技を直に解説していただき、水浸法への理解が更に深まりました。ありがたいことに、さらに愛弟子の谷口将太郎先生をご紹介していただきました。谷口先生が運営する、新宿内視鏡クリニックでは、無理を言って長期に研修させていただき、水浸法による挿入、デリケートな鎮静剤の調整、下剤注入法といった我々の診療の根幹となる技術を教えていただきました。生まれ育った新宿の土地で刺激的な研修をすることができ、両先生に本当に感謝しております。


たまプラーザ南口胃腸内科クリニック
福岡天神内視鏡クリニック

平島徹朗先生

相馬渉先生

https://www.tamapla-ichounaika.com

https://www.fukuoka-tenjin-naishikyo.com/

私が内視鏡クリニックを立ち上げようと思ったときに、真っ先に相談させていただいた先生です。大学が同門であり、国立がんセンターで共に研修した平島先生は、内視鏡クリニックの可能性を追求し続けています。内視鏡洗浄や院内清掃を含めた清潔なクリニックのノウハウは平島先生から学びました。また内視鏡設備を、がんセンターや大学病院と同等の最高のものを揃えることも平島先生のクリニックのやり方を取り入れました。また患者さんへの診療以外の献身的なサービスや情報発信の方法も大いに取り入れさせていただきました。当院の内装デザインは、平島先生から紹介された建築デザイン会社が担当しました。平島先生より、「カッコつけたり、恥ずかしがっていたら、よい医療はでき ない」との言葉をいつも思い出しながら、夙川内視鏡内科まえだクリニックを運営していきたいと思っています。